映画「騙し絵の牙」感想

 

2時間弱あっという間で完全に没入して映画を楽しめました。SNSで感想を幾つか見ましたが、かなり多くの意見として「あっという間に時間が過ぎた」と言ったことが書かれていました。何故時間があっと言う間に過ぎるのか?映画を見た時で感想をベースに考えてみました。

 

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①いわゆる「どんでん返し」がビジネスの視点に立脚したもので、その論理が完璧でストーリーの納得性が強い

冒頭に出版業界の厳しさと「取次」という概念を端的に頭出ししていることで、その後の展開が非常に頭に入ってきやすかったです。

上記頭出しの補助として、
・高野の実家の本屋に蔓延る陰鬱とした雰囲気。
・立ち読みのためだけに本屋を使い、購入はネットで行う学生達。
あの数十秒で、取次を経由する本屋の経営の厳しさと時代の終焉が秀逸に表現されていて素晴らしいと思いました。

東松社長肝煎りのKIBAプロジェクト頓挫。それは単なる権力争いではなく、ビジネスモデルそのものの敗北でした。
東末は旧態依然とした薫風の改革の先頭に立つ先駆者、だったはずです。彼は出版業界に対しての深い知識と豊富な経験を持ち、それを実行する馬力もスピード感もある。けれど、そんな人を持ってしても、今のビジネスのスピード感には追い付けない。
時代が急速に動く中で、二手も三手も先をいかなければ生き残れない。現代のビジネス・経営の中枢を垣間見たように感じました。
Amazonとの提携についても、フィクション作品に多い論理の飛躍が一切無かったので、違和感なく話が入ってきました。「確かに今後、出版社とAmazon他プラットフォームがこういった契約を結ぶのはあり得るな」と誰もが思えるような現実的な契約内容でした。

映画の山場である、高野の独立。ここもただの騙しではなく、ステークホルダーを巻き込み、自身の目的(リアル書店の復活)に向けて邁進したビジネスマン高野の勝利が描かれていました。
速水の十八番であった根回し、先回り、キーマンの説得といったプロジェクトマネジメントの文脈で、元の上司に完勝した高野の姿に心底震えました。窮地に立たされてもあれだけ飄々としていた速水が、高野に出し抜かれた時だけは屋上で苛立ちの感情を露わにしており、あれが高野の鮮やかさを一層強めているように思いました。
リアル店舗が勝ち残る手段を考え抜き、速水の「低単価で、世界中どこでも、不特定多数の多くの人が買えるようにする」戦略に対して、「高単価で、ある場所でしか買えない物を、来店した人にのみしか買えないようにする」という時代のトレンドに逆張りして成功する高野に今後のリアル店舗の可能性を感じました。
高野の父親が、在庫のない商品を明日までに欲しいというお客さんのために、自分の足で別書店にその本を買いに行くシーンにもリアル店舗の未来が書かれているように感じました。あのようなホスピタリティの積み重ねで実店舗に顧客がつくのだなと。
ちなみに私はこのシーンで号泣しました。高野家の人柄や家族観が丁寧に紡がれており、蓋し名場面だと思いました。


②東上人部の描写に一切の矛盾がなく、それぞれの焦燥感や高揚感がありありと伝わってくる

登場人物の性格や考え方が画面からひしひしと伝わってきました。それはひとえに、緻密で矛盾のない小さな人物描写の積み重ねあってのことだと思いました。
以下、主観で大変恐れ入りますが登場人物についての感想になります。

速水
彼は「表現をしないという表現」が必要な人もいるのだなと考えさせられました。高野がかもくらあいいち について猛烈な勢いで調査し、居場所を突き止めるシーンは漏れなく描写されています。ですが、速水が二階堂との会食後にひじりの小説を拾って、夜更けまで2回も原稿を読んだ(その後のシーンで2回読んでかもくらとわかったと言っていたため)シーンは描かれていません。確かにもしそのシーンがあると、速水の妙な不気味さや掴みどころのない設定が崩れてしまうなと思います。

高野

 

木村文乃
小説薫風在籍時は、表情が固く感情の起伏も少なくこの人自身の個性をあまり感じませんでした。けれど、高野がトリニティに映る時は真摯に説明をする、薫風が潰れる時に高野に対して自分の非を隠すことなく伝え謝罪までしている。この人は根から本当に良い人で、書籍や文学にも強い想いがある。それを最後、高野が開いた書店で、最高の笑顔で働いている描写で表現をされているところに心底痺れました。

常務
元来、この人は文化継承などは真の意味で考えていない人のように思います。「薫風で芥川賞を取らせてやる」など、権威主義極まれりの人です。記者会見時、小説薫風のブランド毀損を守るために、あの場で常務の彼がすべきことは謝罪だったはずです。ですが、「恥をかかされた」といった自分のプライド毀損のことで頭が一杯なのが表情からして全開です。結果、「薫風も落ちたなぁ!」という記者の罵声に対して過剰に反応。あれは会社を卑下されたというより、自分を卑下されたように感じたからあそこまで怒鳴り散らしてしまったのかと。常務の性格の弱さ、その彼がリードしてきた薫風社の脆さを表す素晴らしいシーンだと思いました。